保護者の方々からの声
F.M.さん お母様
3歳児健診でも特に指摘されずに過ごしていたものの、言葉の遅いことが気になり療育センターに相談に行きました。自閉症のグレーゾーンである、障害は病気とは違い治らないとの言葉に絶望を感じたのを今でも覚えています。そんな時にAriosoと出会い、子どもの学習面は勿論、親としてどう対応したら良いのか、幼稚園や学校の先生方にはどう伝えていくべきか等、面談を重ねていただきながら親子ともども学び、成長させていただいた9年間でした。
小学校の間は、毎年進級の度に先生に娘の特性をお伝えし、学校の様子も機会あるごとに伺いながら過ごしました。担任の先生とのお話は必ずAriosoにお伝えし、配慮の受け方もアドバイスいただきました。そうやって小学校を無事卒業と同時にAriosoも卒室いたしましたが、中学高校は特別な配慮や支援を全く受けずに、自分のペースを上手に守りながら過ごせました。お友だちもたくさんでき、部活動も受験勉強も両立させ、あの初めてAriosoの門をたたいた時の娘では考えられない、頼もしい姿に成長しました。
現在は大学の応用生物学部に入り、将来は研究開発をするのだという目標をもち、遠いキャンパスまでリュックを背負って通学しています。 Arioso通室を良く手伝ってくれた他界した祖父が、ここまで良く頑張ったね、Ariosoとの出会いは大きかったね。と言ってくれました。 本人も折に触れ、Ariosoの頃の思い出を楽しそうに話し、また先生方に会える機会を願っています。
H.R.さん お母様
Ariosoでお世話になったのは5歳~12歳までの七年間です。子どもの状況に対して受容がまだまだできていない時期で、この先我が子がどのような道を歩んでいくのか不安ばかりでした。
学習は教科書通り進めても定着が難しいので、子どもに合わせてオーダーメイドの教材で学習を進めていただき、また、初めての単元には不安を覚えないように先取り学習もしていただきました。子どもの特性を充分に理解した対応で、安心できる授業でした。
学校で頑張っている分、家で荒れることがあったりしたのですが、そんなときでも子どもだけではなく私共にも寄り添っていただき、乗り切ることができました。皆と同じようにできなく良いんだと思ったら、親子共々楽になりました。
中学校は学区の公立中に進むかどうか悩みましたが、子どもの成長段階や将来を見据えて進路先を一緒に検討していただきました。
志望校が決まり、その学校のリサーチ、受験準備、提出書類の記入のご指導までお願いし、お陰様で中学高校一貫校に進むことができました。
その中高六年間は、親子共に楽しい毎日を送ることができました。
その後自分の意思で専門学校へ進み、今、社会人を目指して頑張っているところです。
U.K.さん お母様
息子は幼稚園年中から中学校卒業までお世話になりました。
入室希望面談のとき、息子の欠点ばかり目についてどう育てて良いか途方に暮れていた私に、先生はまず息子の良いところをおっしゃってくださいました。
そして一年後にどのようになっていてほしいか、そのために今少し頑張ればできそうなこと、そしてその手立てなど、内容の濃い面談を終え、初めての個別の指導計画が完成しました。目標をとても具体的にわかりやすく設定してくださり、それらの達成に向けて前向きに取り組むことができました。
その後も、年二回の保護者面談で、そこまでの期間の評価、目標の再設定を重ねていただきました。その間、わからないこと、目標通りにいかないことなどは、メールでの相談をしていただきながら乗り越えていったように思います。
息子が成長していく過程で、学校や発達支援機関でも個別支援計画を作成していただく機会がありましが、ただの紙片でしかないものもある中で、Ariosoほど生きた面談や計画はありませんでした。的確な目標設定と、その達成のために注がれる先生方の情熱は比較できず、その熱意に動かされ親子で成長させていただきました。
息子の小学校入学時、息子が成人した姿をイメージし、その姿に向かって各段階をどう過ごすか、トップダウンで考えるよう助言いただいたことを今でも覚えています。
今、その姿に近づけるよう、職業訓練校にて就労活動を頑張っています。(つづく)
U.K.さん お母様
(その後)
息子が通ったのは都立の職業訓練校(職業能力開発センター)でした。こちらの就労担当の方にはほんとうにお世話になり、企業とのマッチングには妥協せず粘り強く動いてくださいました。ただ、都内企業の紹介がほとんどだったため、居住地の横浜ハローワークも利用し、その求人応募に関してもご尽力いただき、お陰様でこの春、本人が強く希望したA型事業所に決まりました。本人の真面目で正直な性格、巧緻性の高さなど良いところをたくさん認めてくれ、高く評価していただいての勤務なので、心から良かったと家族も喜んでいるところです。
障害者雇用は雇用枠が決まっている中、良い企業は従業員が辞めないので求人が出ず、逆に求人が出ているところはそれなりに長く続かない理由があり回転率が速い、という難しい状況があるようです。実際に息子が就労活動をしてそれをつくづく感じましたが、それでもその中で、いかに長く勤められる企業を見つけるかは、自分の得意不得意を客観的に把握していること、実習での体感直観を大事にすることだと感じました。そこまで導いてくださったのは訓練校の指導員の方々でしたし、焦らず合うところが見つかるまで探そうと覚悟を決めていたことも良かったと思います。
息子に障害がわかったとき夫は、「長く子育てができるんだから幸せだ」と申しました。その夫の扶養から今回息子が外れる手続きを済ませましたが、何ともさみしい思いを感じました。自立に向けての大きな一歩を踏み出したのだということを実感しています。
今度は障害者年金の申請のため書類作成をしていることろですが、昔のAriosoの支援計画も見返しながらまた、あの当時を振り返っています。Ariosoで今頑張っている皆さんの参考になれるように、長く勤め続けられるようにこれからも息子を支えていきたいと思います。
I.R.さん お母様
小学校2年生から卒業までの五年間、Arioso学習教室にお世話になりました。
小学校では個別級と通常級の両方に籍を置き、学年が上がるごとに親子で次の進路を模索する中、私立中学校への受験を考え始めるようになり、そのことで何度も相談させていただきました。
先生方は厳しい受験になることを想定された上で、様々な角度から対策を講じてくださり、そして私自身にも度々貴重なアドバイスをしてくださったお陰で、念願の中学校に合格することができました。子どもだけでなく、親の私ににも親身に寄り添ってくださったことが、受験を乗り越えられた要因だったと思います。当時のことを思うと、懐かしさと同時に、胸に熱くこみ上げるものがあります。
手が届かないと思っていた学校に導いてくださり、先生方にとても感謝しております。
中学高校と楽しく過ごし、本人の人生の中で本当に実り多い貴重な時になりました。現在は自立支援の学校において、自立と就労に向けて頑張っています。
I.M.さん お母様
娘は小学5年生6年生と、私立中学受験でご指導いただきました。
多数ある私立中の中で娘の得意分野の科目と希望校の受験問題を照らし合わせ分析し、娘にわかりやすく教えてくださいました。
親への支援として、受験校対策の宿題提供、面談に加え、メールにてアドバイスを日々送ってくださいました。
現在でも、学ぼうとする意欲、落ち着いて学習する姿勢、毎日の日課として宿題をこなす習慣は、あの中学受験期に身に付けたことと思っています。
将来自立し、就労していくための基礎を学べたと感じます。
一番助けられたのは、小学校時代に学校での嬉しい出来事や、悲しかった事を話す娘に、先生方はいつでも耳を傾けてくれたことでした。限られた授業時間の中で、さぞ苦心してその時間を確保してくれたことと思います。
高校はサポート校へ進み無事卒業、この春より生活訓練カレッジへ通所が始まります。
Ariosoの先生方は今でも、「いつでも応援している」というメッセージを伝え続けてくださり、私たち夫婦も娘本人も大変心強く感じています。
A.H.さん お母様
小学校入学時より個別支援級に在籍していました。
4年生になった頃、中学の先の高校進学まで見据えた時、将来少しでも好きなことができ、ストレスのかからない進路決定ができないかと模索しました。
学習面、情緒面の両方を考え、5年生から中学校卒業までAriosoへ通わせていただきました。
中学校三年間でしっかり学習をし、私立通信制高校(登校型)に進学し、現在毎日お休みすることなく、高校生活を元気に過ごしています。
学級委員にもなり、文化祭や体育祭も充分に楽しみ、学科の試験も検定も頑張っています。
その当時、私自身がわからないことなども事細かく丁寧に教えてくださり、親子共々お世話になり、感謝の気持ちしかありません。
K.A.さん お母様
小学校4年、個別支援級に通っている時に友人の紹介でAriosoを知り、面談をお願いしました。
3歳から療育センターに通い、中度知的障がいの診断で地元の小学校個別級に入学しましたが、学習面やコミュニケーション面において、親子で壁にぶつかっていた時期でした。
本人に合った教材を使って色々な方向からアプローチしていただき、週1回の教室でしたが、コミュニケーション力が身につき、学習面もゆっくりですが、成長を見ることができました。
また、本人が親には話しづらい気持ちや感情なども親身に相談に乗っていただき、とても信頼しているように感じました。
公立中個別中、県立養護学校高等部在籍の間ずっとお世話になり、その後本人の希望通り農業関係の生活介護事業所に就労しました。そのタイミングでAriosoは卒室しましたが、その初めての秋、事業所で収穫したお米を持って久しぶりに教室を訪ね、先生にとても喜んでもらいました。
K.R.さん お母様
Ariosoに通い始めた頃は学校の授業にほとんど参加できておらず、学習の遅れを心配しておりました。毎週子供の特性に合った教材を用意していただいて、得意なところを伸ばし、苦手なところも理解しやすいように指導していただきました。またSST指導も含めていただき、学校生活を送るために必要なスキルの練習が出来ました。いろいろな成功経験を通し、本人も自信をつけることが出来ました。
必要時に検査が受けられ、得手不得手の客観的な把握ができたことも、親が適切に関わる上で役立ちました。検査までしていただける学習教室は少なかったのでありがたかったです。
検査結果や学習の進捗状況の面談のみならず、学校生活で諸問題が発生した時の対処方法など、本当にいろいろなことをご相談させていただきました。その都度、ご指導いただいて難局を乗り切れたと家族一同で感謝しております。
Ariosoに出会えなかったら、その後の学校生活を謳歌する子供の姿は見られなかったと思います(小学校ではレッテルを貼られ、暗に転校まで勧められたので)。親だけでは視野が狭くなり焦るばかりで、逆効果な言葉がけしか出来ず、小学校の時は本人も毎日辛かったと思います。しかし先生方の丁寧なご指導のお陰で「自己肯定感」を持つことができ、その後の学習意欲や友達との付き合い方など、現在に繋がったと思います。
中高私立校で過ごした後、大学へ通い、大きな問題もなく生き生きと過ごせました。小学校修学旅行参加さえ学校から難色を示された我が子が、大学で海外留学に飛んで行った時には、あの頃を不思議にも思ったくらいです。あと少しで社会人になりますが、あの時Ariosoに出会っていて良かったと家族皆で思っています。
Y.H.さん お母様
小学校4年の時にWISC(当時は-Ⅲ)検査を取っていただきました。特総センターでの検査を受けても良かったのですが、当時は今ほどには発達障害という言葉は市民権を得ていませんでしたし、親の私も通常級の中でレッテルを貼られるのではないかという不安があって、学校とは関係のないところで見立てをしてもらいたいという気持ちで申し込みました。
検査後にいただいた検査報告書は、折につけ私たち親子を勇気づけ、道しるべになりました。それまでは、どこから手を付けてよいのかわからない混沌とした毎日でしたが、手探りでも子どもの強いと言われた面を最大限に活かそうと工夫したり、教えていただいたアプローチを試したりして、親子二人三脚で頑張れました。
どういう方向に頑張ればよいのかわからなかったのが、検査を受けたことで足元が照らされるような思いがしたものです。配慮をお願いしたいときには検査報告書のコピーを持参して説明したこともありました。
その後は、公立中学校通常級+通級指導教室、高等専修学校、就労移行支援事業所を経て、現在は特例子会社で元気に働いています。